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ゆとり教育とは何だったのか

retrace your steps.

今思うと小学生のときから学校教育のおかしさに疑問をもっていた
変な少年だった。本来なら外へ可能性を広げる方向に進まないと
いけないのに、学校はその抑制と専門性にのみ特化させて、頭と体を
切り離す感覚しかそこでは味わえなかった。

今、教育再生でゆとり教育が見直されている。これは非常に短絡的な考え
だと思う。本来長い期間での良い影響を考えて、このような方針を出したはず
なのに、その成果の現れない数年でその方向を閉じてしまう。
一体何がしたいんだろう?
目的を持たず、すぐに結果を求めたがる日本的で右習え的な象徴だろうとも
思うし、単純な表面をすくって判断してるだけではないか。
それは簡単にヒエラルキーの一部として組み込まれていくし、また更に精神的
に後進国になっていく。
ある意味、実際の時間と休息の使い方の観点が欧米と違うために日本らしさ
という意味では独創的になるのだが、その感覚は多分ヒューマンではない。

日本の文化は様々な文化の吹きだまる土地だと言われるし、実際そうだと思う。
色々なものを文化輸入して練り込みつくし合理的なものとしてコンパクト
にブラッシュアップしていく。いわば高性能なフィルターの役目しかこの国は持た
なくなりつつある。外に発信も出来ず、それらをブラックホール的なごとく別次元
に葬っていく。

今必要なのは発信する事のできるオシレーターを頭に持てるか、という所だと思う。
だけど今の教育ではそれは難しい。
それは何故か?というところに根本的な問題が潜んでいると思う、それは一つの視点
では考えてはいけないけど、解決策はあると思う。
その一つが、本当のゆとりについて考える事だと思う。
決して「美しい国」を考える事ではない。

だけどこの事を解っている人達が沢山いながらも変化出来ないというのが一番の
ボトルネックかもしれない。

turara
(mp3/64sec/112kbps/Sapporo JP)
eq:Roland R-09/44khz/16bit/stereo

DSC06796.JPG
DSC06804.JPG

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